最近はよく「負け犬」という言葉を耳にする。「どんなに美人で仕事ができても、30代以上・未婚・子ナシは『女の負け犬』」と言われている。この描写からは、現代女性が臨んでいる「キャリアと結婚」のジレンマを読み取ることができる。
まず、この問題の性別制限性が興味深い。男性の「キャリアと結婚の両立可能性」に関する話はあまり見られない。議論の対象はほとんど女性に限られる。これは伝統的な性別役割分担に由来する極自然な結果であろう。つまり、男性に対する社会的評価はキャリア中心であるため、結婚するか否かは男性の評価に影響しない。それとは逆に、結婚ができてもキャリアに興味のない男性は、「向上心がない」などのマイナスの評価を受けてしまう。これに対して、伝統的な価値観では女性の使命は良妻賢母となっているので、女性がキャリアに集中し、結婚しないと、「幸せにならない」という評価に直結されやすい。しかし、もう少し考えてみると、人間は誰でも時間と体力に限界があり、キャリアに力を入れすぎると、当然結婚を考える余裕がなくなる。それは性別に関係なく、全ての人に共通する問題である。このロジックで更に推論し続ければ、「キャリアと結婚」のみならず、「キャリアと育児」「キャリアと介護」…などの命題も、時間・金銭・体力の限界性から、両立しにくいものである。「キャリアと結婚」だけを取り上げることは、おそらく「キャリア」も「結婚」も人生の大切な要素とみることに起因するのであろう。
しかし、人にとって何事が重要かは自らで決めるべきではないか。そもそも「キャリア」と「結婚」の絶対的な重要性を疑う考え方が現れている。仕事に没頭しても報われないことがある。それどころか、バブル崩壊後、仕事を失うことでさえ数多く存在する。よって人々は、今まで称賛されてきた「キャリア」や「仕事」に対する一生懸命さを再考することを迫られる。その他、離婚率の激増や家族の連帯関係が希薄化している現在、結婚=共同生活=子育てのような考え方は成り立たなくなる。結婚を省略し、単にパートナーと同じ家に住んでおり、子供を出産する人は、特にヨーロッパ社会に大勢いる。結婚は果たして必要不可欠なものであるかが十分疑わしい。結局、そういうものの取捨選択は、個人の信念に任せればよい。他の人から、「キャリアと結婚」の両立の仕方やアドバイスを得ようとすることは、あまり意味がない行為である。
およそ人々は自分の行為に完全な責任をもって生きていれば、キャリアか結婚かを選ぶのは自由である。またはどちらをも選ばない選択肢も存在する。性別や年齢などの条件によって、他人の選択結果を、皮肉な言葉でからかうことは、寛容で良識のある人から言い出すべきではない。心から社会におけるライフ・スタイルの多様化を望む。
關於所謂的「戰敗犬」在台灣時就曾經看到日本的節目在
說明著這個新單字的意思,那時候心裡的感覺是,為什麼
只是用來形容女性,為什麼就不這樣說男性呢?又是一個
性別歧視的字眼!